2005年秋 境田氏、中国西安市にて学習

指導/中国十大武術名教授、中国武術最高段位9段 馬賢達

助手/馬賢達通備武術学院日本支部総師範 小林 正典

文/馬賢達通備武術学院日本支部中国四国地方分会 境田 悟

中国武術最高峰の武術家・馬賢達老師から直々に手ほどきを受ける境田氏。

こうした師と弟子が信頼しあった学習により真伝へと繋がるのだ。

今回の学習も馬老師のたっての希望により境田氏への学習を集中的に指導していき大変密度の濃い学習だったという。本来の武術とはこうした内容のある学習によって習得していくのだ。

名古屋市から中国西安市へ

2005年9月18日、今回私、境田悟は中国武術最高峰 馬賢達老師の所で武術学習のために中華人民共和国西安市に向かう。本でしか見たことがないあの馬賢達老師が、私に指導してくださるのである。心の中は期待と同時に不安がいっぱいです。

馬賢達老師は現在中国を代表する武術家なので、多忙の身にあられたが、寸暇を裂いて私の念願を受け入れてくれて今回の学習が可能となったのです。そして馬賢達通備武術学院日本支部代表師範であられる小林正典先生、それと多くの人の好意によって、あれよあれよと不可能が可能となったのは言うまでもありません。

名古屋駅で小林正典先生と待ち合わせ。

小林先生は外国人で最も長く馬賢達老師について学んできた馬老師の高弟であり、今回の私の訪中学習に引率してくれるのです。飛行機で名古屋→上海、上海→西安へ。所要時間は約5時間半といったところでしょうか。機内でずっと座っているのは退屈なので小林先生に中国語を教えて頂く(中国を去る7日目まで毎日少しずつ指導して頂くことになりました)

夜に西安空港へ到着。車でホテルまで移動する。走る車の窓から秋の夜空の月が見える。車内から西安の夜の景色を眺めながら、小林先生から武術を学ぶ際の心構えなどを教授して頂いた。曰く「月を見ろ、大地を感じろ、もっと自然を感じてみろ」「詩を詠み理解し、自然を感じることで、武術の動きを理解する助けとすると良い。唐代の詩仙・李白は月を愛でて詩を作った、古人は現在人よりも自然を愛でたり、感じながら生活をしてきた。我らが練習する中国の武術も古人が多くの実戦経験を基づきながらより効果的な戦闘技術の体系を作ってきた悠久な歴史があるが、自然を感じることはより古人の考えがより理解できるようになり、自然を利用することが出来強い打撃を生むことになれる」

風の匂いが日本と異なる。土の匂いが混じる。むせ返る様な大陸の匂いは不快ではなく、寧ろ心地よい。

そしてホテルに到着。馬賢達老師がおられる一室に行くことになり、ついに初めてお会いすることに。馬老師はがっしりとした体躯に、部屋中に響くような声。想像してたより、やはりずっとはるかに大きな人でした。昔からの武術家といったかんじの豪傑であられました。きっと、多くの実戦経験や修羅場を勝ち抜いてきた自信だと思います。王者としての自信が秘められているようでやはりスケールが大きい人です。

噂どおり何か周囲を圧倒するパワーみたいなのを感じました。馬鳳図も馬英図も李書文もきっとこういったかんじの圧倒するパワーがあったのだと思います。真の武術家の一端を感じされせられました。

私は言葉が解らないため、お二人の会話を傍で見る様な形に。時折私にも質問をされ、私は小林先生を通じてお答えしましたが、正直緊張しており何を言ったのかは覚えておりません。言葉が解らないため、お二人の会話を傍で見る様な形に。時折私にも質問をされ、私は小林先生を通じてお答えしましたが、正直緊張しており何を言ったのかは覚えておりません。

ただ小林先生の身辺を気にされていたようで、たまに「小林はまだ結婚していないが、小林は彼女はできたのか?」と私に質問されたことだけは覚えています(笑)

馬賢達老師から八極拳と翻子拳を学ぶ

馬賢達老師は今年74歳。祖籍は「武術の郷」と呼ばれる河北省滄州。馬賢達老師は中国で最も著名な武術家の一人であり、幼少の時から父上であられる馬鳳図公から家伝の武術を学び、朝は早く起きて練習し、学校から帰ってから深夜まで練習されたそうです。馬鳳図公の厳しい指導の下での修行を経て、劈掛拳、八極拳、翻子拳、戳脚、蟷螂九手などの武術に精通されています。

馬賢達老師には他に兄弟がおられて、馬老師を含めた穎達(故人)、賢達、令達、明達と揃って「馬氏四傑」と武林界に広く知られています。

その馬賢達老師で特筆されるのは、もうみなさんはご存知だと思いますが、1952年、天津で同時に開催された全国規模の散手試合大会と短兵格闘試合で優勝されたことでしょう。

この大会は多くの達人が広く参加し、当時弱冠19歳で大学生の身であった馬老師は並み入る達人をことごとく撃破して散手試合大会と短兵格闘試合ともに優勝されたのでした。その大会で、馬老師が撃破したのは、八極拳の達人・王国安、張策の弟である張哲の高弟であって当時天津実力ナンバーワンと称された通臂拳のトウ鴻藻、戳脚の名手の李学文、鴨形拳大師の李恩貴などといった当時の超一流の武術家たちであった。当時の試合情況が現在のものとは違って、薄いグローブを着けただけで、ルールの禁止事項があまりにも少なくて実戦形式に近く、あまりにも激烈で過酷なものであったので、敗戦者多くが担架で運び出されるといった非常に荒々しいものであっため、以後この種の形式の試合は中止されたほどなのです。

また翌年の1953年にも全中国の各地区の剣のチャンピオンを集めて行われた全国短兵格闘試合大会においても優勝され、不敗の記録は今でも武林界に語り草になっています。その圧倒的な強さにより、馬老師は「快手馬」と人々から称されているのです。

馬賢達老師は数々の成績を収められて大学を卒業されてから、今西安市に住んでおられています。

馬賢達老師は滄州から出た英雄であり、多くの武術家から憧れの的となっています。現に、現役の多くの武術家が馬老師の所に訪ねて来れて敬意を表されておられており、著名な武術家であられる方々も馬老師の話を神妙に聞き、現在スポーツ化している中国武術をどう良く変えていくか相談に来られるぐらいです。

今回の学習期間は、5日間であり、主な学習内容は八極拳と翻子拳の二種です。馬賢達老師は午後に指導していただきました。その他に午前中に、馬賢達老師から習った技術を小林正典先生にチェックしてもらいました。

練習初日ですが、まず十分な圧腿の後に蹴りの練習。馬賢達老師は椅子に座られ、一つ一つチェックされ、悪い部分は指摘され、良い動きであれば「好(ハオ=良い)!」と嬉しそうに頷いて下さいます。私は悪い部分を指摘していただく度に有難く思いました。自分でも気づいていない癖などがあれば、馬老師が自ら正しく修正していただけるのですから。

その蹴りの練習ですが、頂腿や点子腿等といった通備門独自の蹴りの練習の後に「後圏腿」といった蹴りも行いました。

それから基本打法である単劈手をおこなう。やはり中国の最高峰の武術家が直々に見てもらったので最初はすごく緊張するものです。単劈手は「呑吐開合、起伏捻転」「放長撃遠」を意識して夢中でやりました。

それから通備十足堂弾腿へ。馬家独自の風格を持つ通備十足堂弾腿は馬氏通備武術の基本拳路に位置し、架式を練りながら、突きや蹴りを正確に行います。他派の弾腿とは違い、通備の独自の身体操作を行いながら、八極拳、劈掛拳、翻子拳の基礎を養っていくわけです。

ただ日本で今まで学んで練習してきたことを信じて無我夢中でやってみたら、今度は英語で「very good!」と言ってくれました。あの馬賢達老師自らそう言って頂き、今まで日本で学んできたことがいかに正しかったと実感しました。

次に、十二大足堂子の一本目の「単劈手」を行う。先述した単劈手とは違い、足堂子なので、歩法が加わります。劈掛拳独自の搶歩を用い、斬り降ろした手を振り上げながら大きく跳び込みながら前へ前進します。

馬賢達老師の説明はダイナミックで体全体で説明していただいているので、武術で必要な勢いとか、力強さや速度まで同時に説明していただいているといったかんじです。特に通備十足堂弾腿と十二大足堂子の練習では、打ち出した拳や掌は両肩が一直線になるぐらい(両肩条直)腰と胯をしっかり回して遠くに打つことを特に注意されました。それに打ち出す時「放鬆(ファンソン=リラックスの意味)」をすることを強調されます。こういった打ち方を「放長撃遠」といいます。

休憩中も私が習った事をチェックしていると、馬老師はわざわざ私の元にやってきて間違った動きを修正してくださいます。力の入れ具合、拳の角度なども念入りに細かいところまでチェックして下さり、私が馬老師の要求通りどおりできるようになると、馬老師の「好!」に私は覚えたての「明白了(ミンバイラ=わかりました)」を返します。そしたら馬老師はにっこりと微笑んで下さいました。

それから翻子拳の練習にはいる。翻子拳の起源は古く、遠く明代までさかのぼることができて、明代に戚継光が著した有名な書物「紀効新書」の中で八閃翻という名で書かれており、「八閃翻は善の中の善なり(すぐれた拳法の中のさらにすぐれた拳法であるという意味)」と紹介されている。

「双拳密なること雨の如く」と言われているとおり快速連打の拳法として知られています。

馬賢達老師は翻子拳の達人としても広く知られていて、今回指導の合間に見せていただいた時、目の前で見た馬老師の翻子拳の連続技は激烈極まるものであり、こんな快速な突きが打てるのか、と以前から聞いていたのですが、今回馬老師の翻子拳の連打を拝見されてもらい、私自身も大いに感銘を受けました。

最初は「旗鼓勢」という構えから始まり、そして滾勒勢から一気に「連珠砲」と六連発の突きを行っていく。

馬老師が見せてくれる翻子拳の連打はまったく突きの途切れがなく「ゴーゴー」と音がしており、左右の拳がすさまじい勢いで飛んでいく。(打ち出すより拳が飛んでいくかんじです) とても真似ができるものではありません。やはり噂どおり馬老師の迫力と貫禄に圧倒されるばかりです。

まさに「快手馬」の異名とおり、面目躍如たるものがあり、この拳で多くの武術家を倒したんだと思うと、少しゾッとした。今年74歳にしてこんな速い迫力のある突きなんだから、今から50年以上前に19歳で散手大会に出た時は、どれ程凄まじい闘いをされていたことか?

その馬老師の要求どおりの動作を淡々とこなしていく小林先生、どういう修練をしてきたらここまでいけるのだろうか?

練習が終わってからシャワーを浴びながら「すごいなー」と思わず感嘆な言葉を発してしまったほどです。帰国してからももっと練習しなければと思ったのは言うまでもありません。

その翻子拳の型ですが、健宗翻といった同じ型でも老架式と新架式の2つがあるとのことでした。新架式は馬鳳図公から学んだものを馬老師が元来の技法をさらに工夫発展させたものである。

その後八極小架を見てもらいました。八極小架は八極拳で一番最初に習う套路であって、架式を練るのと同時に基本的な発勁方法を学んでいきます。

馬氏八極拳の八極小架は「慢拉架子」で基礎を練り、その次に習う八極拳套路で「快打拳」を要求し、動きを学んでいくのです。特に八極拳の練習で注意することで、「開合」と「起伏」を意識しながら爆発力をも要求されるので、馬老師から身法との協調をしてからの発勁を行うように何度も注意して下さいました。

今回は私は八極拳の「六肘頭対打」も練習しました。日本にいる時も練習はしていましたが、今回は小林先生の師弟であられる寶代さんや台湾から来られた李さんと一緒に練習しました。

「六肘頭」は八極拳の重要な対打であり、招法をかけあったりする相対練習です。この中に「大纏」や「外門頂肘」、「托打頂肘」など八極拳で重要な招法が含まれているのです。

まずは、馬賢達老師と小林先生が示範を見せてくれます。馬賢達老師が攻める、そして小林正典先生が後退してそれをさばく。2人の対打は体と体が激しくぶつかりあい八極拳の醍醐味を感じさせてくれました。昔、馬鳳図公や馬英図公もこんな激しい練習をしてたのだと思います。

寶代さんですが、以前師範大学に留学されていた時から馬老師に師事されています。今回は私たちと一緒に練習することになりました。以前「武芸(BAB出版社)」という雑誌に馬老師のインタビューを投稿された人であり、小林先生と同じく馬賢達老師の入室弟子の一人です。師兄に当たる小林先生にすごく気を遣って下さり、また私にまで気を遣って下さいました。謙虚で物腰の柔らかい方で、私は練習で学んだことについて丁寧にアドバイスして頂きました。

背が高いので脚がとても長く、更に驚異的な柔軟性をお持ちで、「抖腿」という通備独自の散手の腿法の練習で私はかなり苦戦させられ、何度も膝を押さえられてもがく羽目になってしまいました。しかも数年前に腰を痛め、庇いながら柔軟と練習を繰り返したと言うのですから、尊敬するのが当たり前と思えるような素晴らしい方です。普段は練習相手が居らず日本でお一人で練習されているとの事。ですので小林先生、私、李さんを相手に対打を思う存分繰り返しておられました。最後の夜にはまたお会いすることを誓いお別れすることに。

通備門は本当に小林先生を始め寶代さん、李さんといった武術の練習に貪欲な方たちばかりです。そういった人たちばかりが馬賢達老師一門に揃っておられます。

『拳豪』馬賢達未だに健在!70歳過ぎても衰えぬその実力!

人々は馬賢達老師のことを「劈掛拳の達人」と呼ぶ、またある人は馬賢達老師のことを「八極拳の達人」と呼び、ある人は「翻子拳の達人」と呼ぶ。大きく飛び込んで全身の力を満身を込めてぶつけるような打撃はすさましい威力を発揮する。

この凄まじい打撃で多くの名人を倒し勝ち抜いてきたそうです。その実力は実際その眼で見ると圧倒される。とにかく凄い!とても70過ぎの老人の動きには見えないないのです。

1950年代当時を知る天津の武術家たちの間では、馬老師の激烈を極めた勇猛果敢な試合ぶりが語り草となっているようですが、さも有りなんと何度も思いました。

普段の馬老師の性格は豪快そのものと言っていい!まるで「三国誌」に出てくる英雄といった表現の方がいいかもしれません。その豪快さが拳法にのり移っているといった感じです。馬老師の話しされると大きな声が響き渡る。まさに現在に生きる拳豪そのもの!!

馬賢達老師の指導は単に型をなぞるだけの練習はされません。型であれば、同時に招法の解説も行われます。真の伝統武術の型は表演用のものではなく、基本の功、招法等が多くの人のそして時代を超えた長年の創意工夫により練り上げた物だということがはっきり伝わってきます。

馬氏通備武術は急に体を縮み込ませたかと思うと、急激に大きく体を開ききって発勁を打ち出す。

「呑吐開合」「起伏捻転」などによる身体操作は伸縮の度合いが激しいです。この身体操作は他派の八極拳や劈掛拳には決して見られないものです。

休憩中に私が一人で正しい動きをチェックしようと手探りに動いてみると「NO!」と「不好(ブハオ=良くない)」と地響きするような大きな声で言われる。今度は、前へ前へ勢いをつけて満身の力で打ってみる。そしたら今度は多少体勢が崩れてしまっても、それでも馬老師は「可以(クイー=よろしい)」と言われる。ようするに馬老師は型の練習を行う際も実戦を想定して力強く前へ飛び込んで打てと言いたいのかもしれない。武術とはなにかを、馬老師は私たちに身をもってそれを伝えたいのかもしれない。「戦いとはなにか」、「武術とはなにか」馬老師からの指導を受けて多少だが教えられた気がした。後は、実践してみるしかありません。

今回は八極拳と翻子拳の練習の他に、短兵や長兵、そして鞭杆の練習も行いました。

馬老師から「五陰」という鞭杆の基本の型を学びました。馬老師が手ずから指導してくださった後に、小林先生に見てもらう。小林先生は馬老師に17年もついて学んでいる方であり、長年馬老師に師事しながら、長年中国へ住んだり、何度も日本と中国を往復してた習得してきたその技術は正確で威力があり、他派を含めて日本の中国武術の第一人者といっていいでしょう。

実際に馬老師は小林先生のことを信頼されていて、あれこれと気にかけておられるようです。お二人でよく冗談を言い合っておられています。そんなお二人のやり取りを見て寶代さんや李さんがたまにニヤニヤしておられていました。小林先生と馬老師のお二人の時は、お二人の間の空気は家族の間のそれと同じものを感じさせます。これは実際に間近で感じなければ分からない事かと。

鞭杆の基本型「五陰」を学びながら、「十字覇道」「無中生有」といった鞭杆の単式招法も学びました。鞭杆は羊を追う短棒から武器になったとも言われており、主に甘粛省や山西省といった内陸地に伝承があるそうです。馬家に伝わる鞭杆は甘粛省に伝承があったものを馬鳳図公が通備の勁道を採り入れたのです。短棍なので、自在に操ることができかなり実用的な武器です。

短兵のスパーリングもやりました。短兵はスポーツチャンバラに似ているように見えますが、中国の刀法や剣法の技法を活かして実際に打ち合うものです。馬賢達老師は1953年中国の国体に当たるような全国大会で優勝を果たされたことは先ほど述べましたとおりです。スパーリングの時小林先生が火事場の馬鹿力なのか、台湾から来た張さんとの打ち合いの最中になんと短兵を続けざま3本も壊してしまいました。あとで「そんなに強く打ってないんだけどな」と仰っておられましたが、やはり勁力なんでしょう。張さんがもし当っていたらさぞすごく痛かったでしょう。最後の方では張さんが後退ばかりしていましたので。

皆さんそろって槍(大槍)の練習を行う。通備長兵は六合大槍や奇槍にある動作もあります。単式の練習の他に2人で向かい合って行う相対練習もあります。

その長兵の練習ですが、どれも通備武術の槍術の中の重要な招法を採り入れて練習していきます。今回私たちと一緒に練習することになった李さんは元々台北で韓景堂系統の少林拳の先生をされており、二百人を越える生徒さんが居られるとのこと。全中国台湾で良師を求め訪ね歩き、馬賢達老師に行き着いたと仰っており、現在は馬賢達老師に学びにやって来ては、生徒さんに還元されているそうです。これから李さんは台湾に通備拳を広めるために活動されるそうで、私たちの日本支部とこれから一緒に活動されることになります。

李さんから貴重なお話を沢山お聞きしました。台湾には通備拳で私たちが当たり前に教わっている技術が失伝しつつあるそうで、例えば台湾にある大槍は花槍であり通備拳にあるような技術は全く見受けられなかったそうです。我々は中国拳法の本場台湾でやってきたですら貴重な技術を学んで来ていると、李さんは熱弁されておりました。日本の我々にもしっかりと学び、習得すべきだと仰いました。

また、「鉄砂掌」といった手を固めるような功夫は実戦にあまり意味がなく、通備拳のような身体を弛めきって発勁を行う練習こそ実用に繋げれるものだとも力説されていました。

李さんは一緒に滞在中に中国語に未熟な私にも良く笑顔で話しかけてくださり、お互い練習後に「辛苦了(シンクーラ=おつかれさま)」と声を掛け合いました。武術では大先輩ですが、とても仲良くなりました。

大槍術の相対練習の時、『拿』の技法を説明されている馬賢達老師

「シャッ」と音を立てて突いてきた相手の棍を弾き飛ばす!この時の馬老師の動きは柔らかい。

古来より中国では多くの地域で大槍術の実戦技法の練習を行っていたが、現在では型優先の競技性武術の台頭により、練習する人が数少なくなってきた。

今現在では大槍術の長兵の実戦技撃練習の体系を完備しているのは馬家のみだと言われている。

幾多の修羅場を切り抜けた中での強さに秘められた優しさ

練習以外で、馬賢達老師と朝から晩まで毎日お食事をご一緒しました。馬賢達老師は回族なので、豚肉は食べられません。今回の宿泊と練習会場のことを全て手配してくれた曲玉林氏という方も同席でした。曲氏は書道をやっていて筆名を持っているすごい方であり、馬賢達老師の学生でもあります。曲氏は私が馬賢達老師の入室弟子である小林正典先生の所の学生だということで、中国語が未熟な私にもすごく親切にしてくださいました。仕事がお忙しく暇を見ては少しだけ練習に参加されておりました。

馬賢達老師は、練習中こそ、幾多の修羅場を切り抜けた凄みを感じさせる、まさに武人という雰囲気を纏い、真剣な顔つきで練習生の皆を見渡しておられますが、普段は人懐っこい笑顔で皆さんと世間話に花を咲かせておりました。その様子は、まるで好々爺といったもので、あたたかい包容力を感じさせるものでした。お写真でしか拝見していなかった頃からは、決して想像できない一面であるかと存じます。

境田氏に大槍術の実戦技法を伝授する馬賢達老師

馬老師は八極拳、劈掛拳、翻子拳の達人として知られているが、大槍術や短兵などといった武器も最高の域に達している。こうした師と弟子との信頼関係の絆により真伝を授けられていくのだ。

先述しましたが、馬賢達老師は優勝した後も、時代が時代なのか、実戦経験が多く、大学生の馬老師に打ち負かされた著名武術家の一門の門下生に待ち伏せされて挑発されて、試合となる結果となり、ことごとく相手を打ち倒した事。

また、天津で優勝した馬老師の名声を慕ってか、ある武術家が比武の申し出をし、路上で試合することになり、一撃で打ち倒した事など他流試合の話など懐かしそうに話してくれます。

子供の時、国民党の憲兵数名が父上の馬鳳図公を拘束しにやって来たと勘違いして、劈掛拳の突きを続けざま打って数名をすべてKOしてしまった事。

そして、15歳の時には、華北の著名武術家・劉尊楽(少林門)が蘭州にやって来て、山西派車派形意拳の楊殿臣を倒した後、父上の馬鳳図老師にさかんに挑戦してきたため、家の庭で対戦することなり、馬老師は自ら進んで、父の代理として試合し、八極拳の六大開の「抱」の技法を使って一撃で倒したが、劉が倒れた姿勢から蹴り上げてきたため、若い馬老師は怒り劉の顔を踏みつけてKOし、病院送りにした。その試合後馬鳳図老師から「修養が足りない」と強い叱責を受けた話しなど・・・多くの修羅場を潜りぬけた人です。平和になっている今の中国や日本では馬老師のような実戦経験のある武術家が少なくなってきているのが実情です。

今回はなんと「劈掛拳十二大招 五花砲」「八極拳八大招 猛虎硬爬山」等も馬賢達老師から伝授いただくという光栄に浴した。馬老師が招法の解説や用法を解説した後に小林先生に教えていただく。猛虎硬爬山は日本では絶招などと呼ばれ有名ですが、小林先生曰く「絶対的な技など無く、あくまで招法であって、実戦で使うためには技撃を練って磨かないと一生使えない」とのこと。私も大いに同意いたします。中国武術の世界は自分達を出張したいがために、あえて神秘的にしている傾向があります。それは馬老師や小林先生は反対されています。

馬賢達老師は熱心な生徒を大切にされ、またそれゆえに厳しく、高い水準の動きを要求されるそうです。小林先生もそうお考えで、やはり熱心に通備拳を習得したいと考える生徒であれば、こちらとしても厳しく接し、より高みへと昇って欲しいと仰っていました。

私が休憩中に練習していると馬賢達老師が頻繁に訂正に来て下さいました。これを私は最初は、私が小林先生の所に通う生徒の一人であり、そして私の滞在期間の短さに気を遣って下さっての、一般的な厚意だとばかり思って居りました。これが実は特別と言ってよいことで有るかもしれません。馬老師のご指導を受けてみて「休憩中にまで練習に付き合うあんなに偉い立場の先生がどこにでも居るか?」だと思います。 

練習最終日には、日本から高橋さんが合流され、最終日だけ一緒に練習をすることに。高橋さんは京都で普段練習されているそうで、以前、青木という武術家と名乗る人の元で練習していた時に小林先生に指導して頂いたことがあるそうです。その後、馬賢達老師に師事されたとのこと。その事は馬老師が李さんたちによく言っておられていました。

こうして結果的には、小林先生、寶代さん、李さん、張さん、曲玉林さん、高橋さんと日本と台湾の通備門が揃う事になり、最終日の練習、夕食は大いに盛り上がることとなりました。

帰国する日の早朝、空港まで出発することに。朝5時にもかかわらず、馬賢達老師、曲さんはすでに起きておられて私たちを見送って下さいました。最後に私の「謝々馬老師、再見!」の声に「好!」と力強く肯いてくださいました。

今回の訪中で得た物は、練習で得た技術はもちろんですが、何より精神でしょうか。通備門に係わる皆さんにお会いし、その熱心さ、思いを感じることが出来たのは幸運でした。こうした人たちが真の伝統の財産を継承していくのでしょう。今回は日数の少なかったのが多少残念でしたが、とにかく長年の念願がかなって、馬賢達老師より直接指導を受けるという幸甚に浴しました。そして武術名家である馬氏一門の入門への第一歩を進めることができました。

武術を学ぶ場合、それは師と徒弟との関係になり、最も大切なのは相互の信頼関係のはずです。心のふれあいも大切であって、それがなければ、長年の交流があっても、決して真伝を授かれることはないそうです(日本の一部の人のようにただお金さえ払えばそれだけで習えるといったようなお客気分で来られる人は甘いです)。

そういったことで、今回の中国学習で自然に周りから教えられましたし、伝統武術の重みを感じました。

今回の訪中で他の皆さんがいらっしゃったのは全くの偶然であり、それゆえ望外の幸福でありました。共に学び高めあうことは、一人では出来ない大切なことです。日本で学ぶ皆さんも、周囲にいらっしゃる方々と共に切磋琢磨されることを私は願います。

中国の伝統武術の学習を通して

最後に馬賢達老師は今年も私たちが所属している馬賢達通備武術学院日本支部の活動をこれからも応援するとおしゃってくださいましたし、訪中の学習も歓迎するとの事でした。

馬賢達老師は小林正典先生に強い信頼を寄せていますし、お2人の絆は強いと実感しました。

今回得た貴重な経験、体験から私が感じたのは、目標を持って練習しなければならないこと。中途半端な気持ちでは、第一に自分自身にみっともない気持ちになるわけにですし、訪中学習を手配してくださる馬賢達老師や小林先生に迷惑をかけてしまうということです。

日本で「お金がないから習えない」「仕事が忙しい」「どう練習したらいいのかわからない」「やっぱりできない」などと言ったりする人がたまに見かけたりします。しかしやはりそんな考えは甘い!の一言しかありません。厳しい言い方かもしれませんが、自分で武術を学べる環境を作ることが大切だと思います。芸事にはそれなりのお金と時間が必要なのは当然です。

第一に、馬賢達老師は『このような日本人には教えるな』、『先生の話を聞こうとしない生徒は辞めさせてもいい』と小林先生に仰ってましたし、小林先生も馬老師のお言葉に従って最近日本にいる時は、練習生であってもこういう人たちを普段からなるべく遠ざけておられています。目標は皆さんそれぞれ違うけれども、武を志す人間としてはそれなりの礼というものが必要かと思います。

悠久の歴史を持ち、代々師と弟子との間で継承されてきた中国の伝統武術は、実戦を通じて多くの経験と研究により、その技術動作は真理まで達し、単なる格闘の技術を超越した境地まで完成し、本来の実戦技撃性だけではなく、健身養生にまで到る、多面性を持つ中国の伝統文化です。

私は今回の中国学習を通して、私たちは中国武術を本質であるところの戦闘技術及び高度な身体操作、理論に到るまで研究して実践していくべきだと思います。今回の学習で普段小林先生や山口で私を指導してくださる先生が私たちに仰っていた意味がようやくですが、少しわかったような気がします。

馬賢達通備武術学院日本支部は、馬賢達老師とこんなに深い絆で結ばれている小林先生から馬賢達老師直伝の武術を習える環境があるわけですし、日本支部の皆さんは小林先生を通じて馬賢達老師の指導を受けるチャンスが十分あるはずです。こういった経験はお金では絶対買えません。実際中国へ行って初めてそう思いました。私の今回の体験レポートが武術を志す人に少しでも役立ってもらえたら幸いです。頑張りましょう!

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