2006/11/23 六合大槍セミナー IN 東京

監修/通備武術公認講師 宅見幸一

レポート/神奈川分会 鳴海武征  同 藤嶋久徳

馬賢達老師公認師範から指導を受けて

■日本人でただ一人の馬賢達老師の正統なライセンス保持者・小林正典師範が指導する六合大槍、そしてあるべき姿

さる11月23日、都内で開催された六合大槍セミナーにて、中国武術最高段位九段・馬賢達老師の入室弟子であり、日本でただ一人の馬賢達老師からの正式な公認師範であられる小林正典先生から六合大槍の指導を受ける。

最初は解説をしながら、初めての人でもわかりやすいように説明しながら、ゆっくり動いて見せてくれたが、だんだんと先生の示される技が段々と凄くなり、参加者一同、ただ唖然と息を詰めて先生の技を見つめていました。先生が真の武術とは何か?本来あるべき姿とは何か?技を持って私たちに示してくれました。示してくださる技のすごさに驚きを隠せませんでした。

たまに動いて解説されながら、八極拳と六合大槍との共通点を示してくださいました。やはり実際指導を受けながら、解説を受けるとなるほどとつい眼が鱗の状態になります。

とりあえずホームページには今回のセミナーの募集を紹介させていただいたが、けっきょくは参加に関しては、小林先生について真剣に馬氏の伝統武術を学ぶ意志をお持ちの方に限定させて頂きました。いつもより少ない人数のようでしたが、中にはわざわざ関西地方から来られた方もおられました。今回のセミナーに参加された人たちは、先生が伝えたい武術を理解しようとする熱意や、先生のお話しを一言も聞きのがすまいとする姿勢を強く感じました。セミナーの後日、その事について先生から「いままででのセミナー形式の指導の中で一番良かったと思う」とのお言葉を頂き、私も非常にうれしく思いました。こうして先生から指導を受け、お話しをさせて頂く中で、厳しさの中にある底知れぬ温かさを感じ、感謝する他はありません。ありがとうございました。

突いてきた棍を一瞬の円運動で弾き飛ばす!!

六合大槍の用法を説明する小林正典老師

突いてきた槍に触れた瞬間、穂先を螺旋状にねじりながらこするように回転させれば、敵の槍ははじき落とすことができるのだ。

熟練すれば敵の槍に触れた瞬間、ゴツンと音がせず、シャット音が立ちながら一瞬に敵の槍が弾き飛んでいく!

六合大槍は八極拳と劈掛拳において重要な位置を占める武器術であり、これまで多くの槍の達人を世に輩出させている。

中国武術では、武器は手の延長と考えながら練習されており、拳術(拳法)と同じ原理であることが多いので、多くの門派は拳術と一緒に武器まで伝わっている。

槍術は「長兵(長い武器)の首」とされ、高度な技術を要求される。それは、槍の技術は纒絲といった螺旋状の捻りを描いて操作させ、化勁や纒絲勁といった中国武術でも高度な技術とされる技術と同一の原理だからである。

また大槍術を練習する事により、八極拳の発勁狂猛な打撃を産むこととなる。それは大槍術と八極拳の力の出し方が多くの点で共通があるからである。

接近短打を得意とする八極拳は比武(試合)において不利な点が多く、よって多くの八極拳の達人は大槍で試合をしていたと言われているぐらいである。

腹と胸の間の高さに構えて、敵の中心線を制するのが基本である。

中には目がかなりマジになっている人がいますね!

馬家の六合大槍について 馬鳳図と李書文

今回私たちが小林先生からご指導を受けた六合大槍について簡単に書かせてもらいます。

合大槍は八極拳と劈掛拳において重要な位置を占める武器術であり、これまで多くの槍の達人を世に輩出させている。大槍術と八極拳の力の出し方が多くの点で共通があり、大槍術を練習する事により、八極拳の発勁狂猛な打撃を産むこととなる。

実際接近短打を得意とする八極拳は、比武(試合)において不利な点が多く、よって多くの八極拳の達人は大槍で試合をしていたと言われているぐらいである。よって「神槍呉鐘」「神槍李大中」「神槍李書文」など「神槍」と称された達人が多い。お気づきなられたと思うが、呉鐘(回族)以外はほとんど漢族の継承者が「神槍」と称している点である。孟村を中心に回族の系統も伝われていたが、漢族の羅タン(田+童)の系統を修めている継承者が広くその強さを証明してきたからである。

馬家に伝わる六合大槍は本来孟村系統のものを練習してきたが、馬賢達老師の叔父・馬英図が八極拳宗家・張景星に拝師して、羅タン(田+童)系のものを修得し、それにより孟村と羅タン(田+童)双方の良い所を集めて取り入れて完成させている。

馬鳳図と馬英図の伝承は馬鳳図の息子たちに伝われ、日本では次男の馬賢達老師から当会の小林正典先生へと伝われている。

神槍・李書文は、清代末期から民国初期にかけて、六合大槍で無類の強さを発揮し、六合大槍の基本動作の、拿、札だけでどんな相手が操る武器をも弾き飛ばし、その実力は恐れられていた。近代八極拳においては大きく貢献した武術家の一人といえよう。

李書文は馬賢達老師の父・馬鳳図と同じ滄州の出身であり、羅タン(田+童)八極拳宗家・張景星の入室弟子であったが、小柄であったので、短打で接近戦を得意とする八極拳に不利を感じ、後に黄林彪を訪ねて劈掛拳を学んだ。李書文は1864年生まれで馬鳳図より年長であったが、劈掛門においては馬鳳図は李書文の師兄である。

李書文は性格が凶暴で、攻撃的であり、試合で数多くの相手を殺した。そして李書文は馬鳳図に対し不満を持っていた時期があったという。それは年下なのに馬鳳図が李書文の師兄に当たり、若いのに武術のレベルが高いことに不満だったという。徳行の高い馬鳳図は無益な争いを嫌い、感情的な理由による試合は避けようとしたが、李書文の異常な性格をかねてより聞いていたので、いずれは対決しないといけないと思い、そして中華武士会設立した際に、争うこととなり試合をすることとなった。

こうして李書文と馬鳳図は対面し、最初は李書文と馬鳳図は劈掛拳の練習をしたのであった。李書文は185センチもある巨体から繰り出す馬鳳図の劈掛拳を見て驚いたという。当時、革命を志す同盟会の人たちはすでに弁髪ではなく、西洋風の髪型にしていたが、当時の李書文はまだ弁髪だったので、馬鳳図は李書文に向って「李さん、あなたの周囲を三周する間にあなたの弁髪を掴んでみせる。もし掴めなかったら私の負けにしよう」といい。そんな時ちょうどその時に雨が降り出したので、馬鳳図はこれを機に小用しに行った。馬鳳図が戻ってくると、雨の中、李書文はずっと不動のまま立ち続けていて「拳ではなく、槍で試合をしよう」言い出したので、側にあった棍棒を取り、構え劈掛槍にある技法を用いて李書文を広場の壁まで追い詰めていった。2人ともじっと身構えたまま、あえて動こうとしなかった。隙あらば、どちらかの穂先が自分の体を貫くように攻撃の機会を窺っているからである。この時霍殿閣、崔長友等といった李書文の弟子たちが止めに入り、試合をやめさせたのであった。

それ以来、お互い実力を認め合うようになり、馬鳳図は当時天津で有名な回族料理レストランへ李書文を誘い、2人は打ち解けて親交を結ぶようになったという。馬鳳図の武術と人格を認めた李書文は中華武士会に参加し、弟子である張徳忠も参加させたのであった。馬鳳図は李書文の功夫の深さと独特の武芸観を尊敬し、「大師君」と呼び、立てたのであったので、李書文の弟子である霍殿閣、崔長友、張徳忠なども馬鳳図に感服していたという。李書文の流れを組む長春八極拳の長老であった霍慶雲(霍殿閣の甥)は晩年馬鳳図と馬英図のことを懐かしそうに語っていたそうである。

李書文は馬鳳図の弟馬英図(馬英図と李書文は張景星一門の兄弟弟子に当たる)にも関心を持ち、南京中央国術館の設立の際は協力したという。このように馬英図のことを関心をもっていたので、李書文と馬英図は師弟関係だと書かれている書物があるが、実際は当時の羅タン(田+童)八極拳宗家・張景星一門の兄弟弟子同士である。

日本で正統な通備武術の普及を努め活躍してきた師範が公開する!多くの日本人の目を覚ますために・・・

今回の六合大槍セミナーで指導された小林正典先生は、日本でただ単に中国で長年学んできた中国武術を教えている先生ではない。アメリカの大手武術雑誌「KUNFU」でさえもChina's Highest Level Grandmasterと称えた中国武術最高段位・九段馬賢達老師公認から認められたただ一人の日本人なのである。馬賢達老師は中国武術の重鎮であり、多くの中国の武術家から憧れとされている。その中国武術最高峰の馬賢達老師の代理として武術を教えることは、中国人でさえもなかなか認められないことなのである。

「それがどうした」と思う人もいるだろうが、この公認師範という重みというのは並大抵の事ではない。小林先生は18歳から馬賢達老師に師事され、それから長年、馬賢達老師から高度な中国武術を学び修行を重ねながら、通備武術を極めるのに必要なさまざまな事柄を修めてきたのである。もちろん机上の理論だけでなく、実際打ち合いを制して全国に勇名を馳せた馬賢達老師からの直伝なので、実践的な内容であることは言うまでもない。小林先生は当時の修行の内容についてあまり口に出されないが、たまに小林師範が口に出される言葉からは、修行の内容においては日本人からすると絶対考えられないようなものまで存在するという。

いくら体力や腕っ節に自信がある人が普通に修行しても、正しいカリキュラムに基いた修行を続け、馬賢達老師から認められなければ、免許は決して授かれることはない。この教授許可の免許を授かると馬賢達老師の代理として武術を指導できる。つまり正式な通備武術の道場や教室が作れるわけだ。

長年馬賢達老師から通備武術を学び、実戦に裏打ちされた格闘術までマスターした男・・・となれば、いかつい大男を想像してしまう所だが、実際はそうではない。逆にざっくばらんで、とても厳しい修行を重ねて修羅場を潜りぬけた武術家に見えない。今回の六合大槍セミナーにおいても、小林先生から指導を受けて、例えば技術解説などで多少長い時間に及んでも、技術の理論や原理など身振り手振り解説してくれる小林先生の話に我々はまったく飽きなかった。練習している最中に10分も講義が続くと普通多少は飽きることもあるのだが、それがまったく感じさせなかったのは、小林先生の解説が理にかなっているだけでなく、我々に充実した練習が出来るように気を使ってくだされたのだと思う。また、小林先生は、何度も我々から同じような質問を受けても、嫌な顔をせずに、一人ずつ細かく見てくれて欠点を指摘してくれた。

中国武術を練習する日本人にとって、本場中国や台湾で武術を習うのはもちろんだが、中国や台湾の武館(道場)で武術を指導できるということは憧れといってもいいだろう。小林先生はそれをもうこなして活躍されている。2006年2月に小林先生は通備門の同門で台北で馬賢達老師系統の通備武術を教えておられる李唐老師の道場で通備武術の指導をされた。

「今は慣れてしまいましたが、最初李さんの道場に着いて、自分の出番になる前に道場内をのぞいた時、わぁ、こんな小さな子供までいて、しかもたくさんの人達が熱心に八極拳や劈掛拳、短兵スパーリングまで練習していたのだから、驚きました。緊張の震えよりも武者震いでしょうね」

その時、小林先生は李唐老師の師兄(兄弟子)として多くの道場生の前で紹介されて、指導したのであったが、十何年もかけて現在中国武術最高峰・馬賢達老師から薫陶を受けた技術は、最初は日本人だからといって半信半疑で来場していた李唐老師の門下生及び本場の武術愛好家を魅了するのに、時間はかからなかった。指導をおこなう前に小林先生は請われて、最初に演武をおこなわれたそうだが、馬英図は民国時代に当時の中国政府が富国強兵を目指し、国家を挙げて優れた武術家を育成するために設立したといわれる南京中央国術館で教鞭をとりながら実力ナンバー1と見なされていたので、南京中央国術館で教鞭をとっていた武術家から、あるいは同国術館で武術を習ったことがある武術家から指導を受けた人達が多くおられる台湾武術界においても広く知られてはいるが、通備武術そのものはまだ台湾ではあまり知られていない。だがはじめと同時に、小林先生による今まで台湾では見られなかった通備門独自の動き、通備門独自の身体を緩めながらの呑吐伸縮や激しい起伏がある動きからくるスピーディな攻撃と長年練った身体能力に、会場は拍手喝采で揺れたのであった。このひとつの演武だけで人気を博し、わずか半年後再び台湾に招かれたのである。

「今まで指導をしてくれた馬賢達師父の恩返しのために無我夢中で演武した。最初の演武が終わって、現地の他流派の先生たちから声をかけられた。“これからは朋友(友達)だ”って。その時の李さんの嬉しそうな顔が見れて良かった。いろんな人を紹介してもらえて、中には通備武術の戦闘方法を知りたいのか、詳しく聞いたりする人もいたので、用法をかけた時は実戦技法の説明をした時は、なりいき上、多少荒いこともしたが、向こうの人は日本人と違って実力を認めてくれたら、本当によく接してくれるので、こんな経験があってから、本当に“武林はみな一家”だと感じました。日本でずっと指導していただけではこんな気持ちは味わえなかったでしょう」

中国武術では通常『立身中正』をキープして身体を操作するのが原則である。しかし通備門の武術はより強く、より速く相手を倒すのを原則としているので、『立身中正』を無視し、急激に身体を閉じたり、開ききったりして、突発的に死角から霊活で素早い歩法を繰り出して、連続攻撃するので、相手が攻撃できない間合いからの攻撃も可能であり、相手に乗ぜられる隙を生じない。1952年天津で開催された全国規模の散手大会において馬賢達老師はこれらの通備武術の動きを生かした攻撃を繰り出し、多くの実力のある武術家を圧倒し、優勝を果たした。これまでの台湾に伝わっている武術も『立身中正』をキープしたまま動くものであったので、通備武術のようにそれを無視して枠にとらわれない動きで強大な連打攻撃力を生み出すという動きの発想がなかった。こうして小林先生は今までの台湾の武術の常識を覆す逸話も数々残したのであった。

「台湾では中国武術は完全な国技です。日本では所詮外国の武術の一つと見られるので、趣味だって済むかもしれないけど、向こうではおとなから子供まで、しかも小さい女の子まで武術をやって心身を鍛えている。だから層も厚いのでしょうね。そんな環境で武術を教えながら活動をされ、活躍している李さんが頼もしくもあり、正直羨ましかった。しかしこのような場を私に提供してくれた李さんにとてもありがたかった」

「日本では最近中国で留学して武術を学んで来た者や日本に仕事をしに来ている中国人たちが武術を教えたりしているので、多くの種類の武術が伝わってきてはいるが、中国や台湾と比べて全体的のレベルはまだまだ。それに中国武術のメディアはまだ勉強不足なのか、相変わらず短期間で習っているだけで、資料ばかりを見ている研究家と称したりする知ったかぶりをするような人による自慢話、古人の武勇伝ばかりを載せたりして、何も知らない若者を妄想を煽るような内容が目立っています」「実戦実戦とか中国でこれだけ習ってきて知っているんだと自分で言っている方が沢山いらっしゃいますが、結局はほとんどが自称なんですね」と小林先生は今の日本の現状と中国、台湾との矛盾を言いながら台湾での出来事を話す。

1928年10月南京で開催された第一回全国国術考試の散打部門の試合現場(左写真)

馬家から馬英図が出場し、"散打搏撃部門" "撃剣部門" "長兵部門"において優勝を果たした。

当時中国北方で有名であった「朱氏四傑」の一人朱国禄(形意拳)との試合は有名である。

小林先生は馬賢達老師に師事をしながら、事情があってしばらく日本をずっと離れていた時期があった。そして日本へ帰国して、1998年に日本馬氏通備武術協会の前身である馬賢達通備武術学院日本支部を開設した。その時に日本で中国武術に興味がある人はあまりにも本やビデオを見て自分の世界に入っている人が多いこと、あまりにも中国武術が武術として理解されていないことにショックを受けたらしい。中国武術が好きな先生としては耐えるに耐えられないことだったのだろう。使命感のような気持ちが沸き、その気持ちが元来保守主義の中国武術の指導体系を改めるように改善していったそうである。

「ウチでは無駄な排他的なものを捨て、初心者から上級者まで自分の目的を作って実践していくように練習して貰っています。どういった練習をしているのか?自分がどのレベルなのかを知って練習しないと何年練習しても向上しませんので。だから自分の流派さえ、自分さえよけりゃ、人(他派)のことなどどうでもいいようなエゴの人は当会の学習をお断りしています。武術の究極の目的は、完全な人間を作る事だと思います。もちろん世の中に完全という事は望み得べくもないが、少なくとも一歩一歩近づかんとする修養。それが正しい武術を練習する基礎だと思います。故に武術修行が徹すれば徹するほど、平凡たる普通人のように見えなくてはいけない。そうなれるのは武術修行が咀嚼し、消化してしまったからです。だからウチの中では派閥は作らないようにしています。」

こうして通備武術の指導に努められている小林先生であるが、セミナーで指導された時には、小林先生が馬賢達老師の武術を正統に伝える日本伝承者ということで、他流派の師範と名乗ってお忍びに習いに来られる人も何人かいたという。

「いくら教えているとは言っても結局は原理から用法の使い方まで知らない人が多かったですね。彼らは固定した技は知っているんだが、その使い方を活かせるような段階の練習体系を知らなすぎる。だから以前に武術雑誌で、『中国武術は使えるのか?』という見出しの幼稚な特集があったそうですが。固定した用法やその変化しか知らないから結局使えないという結論になるかと思います。“それじゃやっぱりキックボクシングスタイルで戦うしかないんですね?”という人もいましたが、逆に私が彼に聞きました。“あなたは何を練習しているのか?”って、他派を長く練習をしてきてそんなことを言うなんて目が点になりますよね。改めて馬賢達師父が以前言っていた通り劈掛拳、翻子拳、通臂拳は本当に実戦を研究してできた完成された拳法なんだと思いました」

「中国の各流派はそれぞれ優れたものがあるので現在まで受け継がれてきたわけだから、それを学んで日本へ持ち込んできたので、悪いとは言わないけど、実戦で証明してきた経験から得たノウハウまで身につけて正しく指導できる人が日本ではまだ非常に少ないんです。我々は馬鳳図、馬英図(※南京中央国術館第一回全国国術考試"散打搏撃部門" "撃剣部門" "長兵部門"において優勝)、馬賢達(※天津で開催された全国規模の散打大会で優勝 全国短兵格闘試合で優勝)といった先輩が理論だけでなく、実際多くの戦いによって勝ち抜いて得た経験があるので、それに基いたノウハウに沿って練習しています。そこがウチの特徴です」とも言う。

今回は特別に大槍術だけでなく長兵格闘の指導もされた

馬家の長兵は、六合大槍や西北系棍術だけでなく劈掛門の奇槍(劈掛槍)や五十五図など豊富な技術が揃っている。

中国では東が槍、西が棍と有名であり。西北地区の棍術は、馬鳳図が西北地区へ移住してから馬家に伝わり、馬家は西北地区の棍術の代表といってよいぐらい西北地区の棍術が完備されていることは、日本ではあまりまだ知られていない。

馬家に伝わる西北系の棍は通備劈掛の勁道を取り入れ、猛烈な爆発力を伴った発勁を連続的におこなう激しい棍術である。

有名な風磨棍は劈掛門に属する棍術であり、穂先をつければ槍として戦える棍術であり、また河北省滄州地区に伝承があった劈掛門に伝わっていた奇槍や五十五図といった槍術や棍術の技術が含まれている。

兄・馬鳳図から風磨棍を習った馬英図は南京中央国術館で郭長生に風磨棍を教え、2人で南京中央国術館で風磨棍を教えた。

そして風磨棍と名乗らせずに南京中央国術館の教材用として瘋魔棍と名乗らせて普及させたのである。

一部、馬鳳図や馬英図、風磨棍の伝承について誤解があるので、通備門側からの意見としてお知らせします。

長兵の技撃技法を説明する小林正典老師長兵の技撃技法を説明する小林正典老師

長兵は大槍術の技法も含まれている。動作の意味から使い方まで明確に指導してくれました。

「たとえば八極拳の六大開の外門頂肘という技がありますが、こういうふうに入って肘を決めるのが原則ですが、実戦の時は相手はバカじゃないから、このようにマニュアル通りの固定されたやり方では打たせてくれませんよ。たとえばこう(フェイントをしたり、相手から見え難い角度から攻めたり、相手を注意を他所に向けるように引き付ける動きをしている)、こうして入ったりするわけですね」といって相手くれた受講生を吹っ飛ばす。まさに人間の生理的に弱いところを利用している感じである。同じ受講生が持って来た武術雑誌を持ち出す。「八極や劈掛、翻子以外はあまり詳しい事がわからない私ですが、このように型どおりにはいきません」と他流派の某武術家の用法解説を見て言う。小林先生は、まだ日本で中国武術が理解されていないのは、相変わらずこういった紹介をしているメディアにも問題あると指摘する。「これを見てどう思いますか?」と小林先生に聞かれた私たちは、「動きから見て相手をふっ飛ばしているので強そうだと思います」と答える。

「それは相手がここに突いてくると解っているからこの武術家は安心して用法をかけているのでしょう?」

その通りだ。続けざま小林先生は言う「私から見たら、これが実戦技法の説明だなんて、ど素人もいいところですよ。これはあくまで動作の使い方の一例でしょ?」

驚いてしまったが、今回一緒にセミナーに参加している○○さんはかなりの年数の武術歴があり、それなりにいろんな武術家に師事されていた。ちなみにこの雑誌でふっ飛ばしていた武術家はその彼がかなり前に師事した先生だったのである。その彼が「驚くような技術を見せてもらっても、結局は自らの功夫を誇示する程度であって、結局はどうしたら上達するのか?使えるようになるのか?とずっと試行錯誤の状態のままで、やればやるほど怪我をしてしまうこともありました」と呆れたように言う。

「実戦を潜って勝ち抜いたノウハウを身につけていない人間が指導するからそうなるんです。それじゃ我々がアドバイスしたら、彼らがそれに耳を傾けるかっていうと、純粋に武術を求めている人なら聞きますよ。じゃあ日本の研究家といった人たちはというと、なかなか聞けない。今までの色眼鏡で判断したがるから。まだ中国の伝統武術が珍しいからなのか、どんどん中国のものであれば紹介したりして、今まで俺たちが本で紹介してきたんだと、プライドが出てきてしまって」

身を守るのは相手に勝つことではない。負けないことである

そして護身術の話へとなる。先述した台湾に関連することだが、その後、小林先生の演武を見たという台湾の人が日本へ来た時、小林先生を訪ねたそうである。

「李さんの所でご一緒したということでお会いしました。その人は時々日本へ来るらしく、最近の日本は物騒になったと言うんです」 武術の話と少し脱線するが、たしかに最近のニュースは暗い話題ばかりである。それだけに護身としての武術の必要性が高くなっている今日この頃である。

そう思っていた最近であるが。セミナーの最中、小休憩でみんなとくつろいでいた時、小林先生は突然「武術としての武術と護身との違いはわかりますか?」と鋭い質問を私たちにしてくる。思わず周りの人たちとムム・・・となってしまうと、小林先生は「本来の武術は師と弟子との相互信頼関係により、秘密裏に伝授されてきたものです。最近は道場という形で一般の人が武術を習える機会が増えてはきていますが、指導体系は以前とは多少変わりつつあることもあります。道場でやる武術の技と護身術で使わないといけない技の決定的な違いは、いろいろありますが、道場で練習している技は、相手を倒すところまでいくわけですが、護身術は本来武術の技の中から伝わってきたものだが、目的は違います。早く言えば、逃げる時間を稼げればいいわけです。決して高い境地に達しなければいけないわけでもないし、秘伝を習わないと使えないといっている云々ではありません。護身としてだけなら誰でもそれなりに身につくことはできます」

たしかに武術の技は打ち倒す、あるいは完全に制御し動けなくしてしまう技が主流となるため、護身術(逃げる時間を稼ぐための技術)をそのまま流用してしまうと、使えないことになってしまう技もあるというわけである。例えば腕をとって制御する技でも、それ用の技があるという。この結果報告を見ている人の中には、女性や武術を習いたくても、習いに行くことができない人がいるかもしれない。小林先生が語ってくれた護身技術というのは、さすがに実戦において震撼してきた達人を多く輩出させてきた通備門から、そして中国のトップの武術家から長年直接伝授を受けた技術から成り立っているので、その説明は納得でき、動作も簡単そうで、伝統武術だけでなく、伝統の技術のベースになっているものから指導してくれるのなら、これからますます治安が悪化していくと予想されている日本で大いに参考になると思う。

「護身術というのは実際は武術で普段練習しているものとはほんの一部分です。武術は本来は数年もしくは十数年かけて優れた技を磨き、完成させていき、強健な身体や心まで成長させていくことを前提にカリキュラムが構成されています。たとえば武術の優れた戦術を実戦に使おうとしても初心者はすぐには出にくいものであるので、基本の動きを身につけてから、普段の練習を繰り返して修得していくものです。武術は流派独自の基本功を正しく身につけないと、流派の独自の動きを活かすことができず、いくら自分で工夫したとしても中途半端なものとなり、後で大変な回り道になってしまいます。逆に護身術だけならというと、武術を修得しないといけないと想像しがちで、それはそれで正解ですが。武術は先人たちが繰り返し闘いを通して、有効的に相手を倒すために研究工夫を重ねて、現在まで代々と受け継がれてきました。だがそんな技をどんな状況においても達人のように自由自在に操ることができるまで、どれほどの修行しないといけないのか。たとえば道場で何年も厳しい修業をしなければ、身につかないような技は、護身術としては何の役にも立たないわけですね。護身術だけを求めるとなると、普通の女の子ですらできるような技でないといけないと思います。日常生活の動作の応用ぐらいで、2、3回練習して覚えてできるような技でないとダメなわけです。だから私が女性や非力な人に護身として習いに来た時には、襲われたら必ず鍵かボールペンのような先が尖ったもので、目か喉を突けと言います。今回のセミナーは槍の練習をしているわけですが、日常生活では槍は持ち歩けないので、日常で使う携帯道具を有効に使いなさいと」

そんな残酷なことは男の私でもなかなかできそうにないと思っていたら、「犯罪進行中の人間に対しては、私は一切人権を認めません。ずっと日本にいるあなたたちはすぐにはわかれとは言わないが、緊急の時は道場内で組手をしているのとはわけが違うので。ちょっとした躊躇であなたが死体になってしまうかもしれませんから。あなたは死んでしまうから、自分の酷い姿を見なくても済みますが、親族の人はあなたの死体を見てしまうわけですよ。だから犯罪者に対しては躊躇してはいけません。毅然とした態度をとったり、目や喉といった急所を突かない限りひどい目にあわされるんだと。そういった心がけは知っておくべきだと思います。勝たなくても、負けなければいいのだから。武術を習っているなら、安全に逃げれる時間と距離は知りなさい」と。

たしかに昨今見られるニュースを見ると一理あるかもしれない。犯罪者の人権も大切ではあるが、それ以上に被害者の方の人権はもっと大切だと思う。過剰防衛になるのではないかとは急な場合いちいち計算ができないはず。その一瞬の躊躇が命取りになるケースだって十分ありうる。それに危害を加えようとする人間はそれなりに場数を踏んでそれなりに自信があるので襲ってくるのである。そんな人間に生半端な技で対抗しても、むしろ逆上させてさらに悪い結果となってしまうこともありうる。

さらに小林先生は「武術と護身としてだけのものは用途目的が違い、間合いの取り方や外し方なども違います。武術は健康で学ぶ目的の人、組手や実戦に興味があってそれが目的で学ぶ人、護身として学ぶ人など、それぞれいろんな目標をもって練習していますが、同じ流派でも当然それぞれ練習の要求が違ってきます。ついでですが、以前私の知り合いの向こう(中国)の武術家がこういったのです。実際襲われた時、相手を制御したら、すぐに逃げ場を確保すると。それは正しいと思います。臆病だと言われるかもしれませんが、相手は害を興したいがために接近してくるわけですね。散打(組手)みたいに一定の決められたルールがあるわけではないのです。臆病になるということは決して恥ずかしい事ではありません。試合ではありませんから、特に闘う必要はありません。まずは相手が悪意によるものなのか、どうしたいかを分析や判断することが大切なはずです」やはり小林師範は百戦錬磨の馬賢達老師から実際に戦って証明してきたノウハウを修得してきたので、わかりやすい説明であった。

ここまで説明を受けて小林先生が何を伝えようとしているのか我々もわかってきた。すっかり物騒になったこのご時世である。なのに趣味ならその人の自由なので、それでいいかもしれないが、武術として護身として活かすために武術を練習しているのに、相変わらず号令をかけて繰り返すだけの套路練習や固定された用法、対練練習だけではどうかと思う。もちろんやり方だとは思うが。冷静に考えてみたら、本当に悪い人間に絡まれた場合や、女性なら強姦されそうになった時それでは通用しないのは私たちでもわかる。実戦で緊迫した時は、理論はまったく通用しないし、一瞬での速さと力、そして集中力が問われる。だから普段武術を練習している時は、これらのことを注意して練習しながら実践していかないといけないことがわかる。

運とは胆力、気迫により切り開かれる

「中国の伝統武術の練習体系は、各門派ともそれなりに素晴らしいものではありますが、中には多くの無駄なものもあります」と小林先生は言い切る。ようするに用途によって柔軟に対応できる練習が普段の練習から大切だと強調される。馬鳳図や馬英図は1世紀も前から伝統といったものに縛られずに、実際対打や打ち合いを通して、研究工夫をしていたというのは、当時の時代の人の常識では考えられない事であろう。馬鳳図と馬英図が実践してきたことを馬賢達老師が散手大会で優勝をして証明し、そのノウハウが小林正典先生に伝わっているのである。小林先生から指導を受けて、改めて通備門の武術は伝統の固定観念に縛られずに自由自在に戦えるように研究されている武術だと実感した。

中国武術は、近代中国政府の推進により多くの門派とも套路(型)というものに様式化された練習が中心となり、しかも理論ばかり論じてあまり実戦向きでなくなったのが現状だと言われているが、その中でこんにちまで真の「中華武士の精神」が残っている門派がありました。その一つが通備門である。李書文、馬鳳図、馬英図といったこれらの先人が尊んでいた「中華武士の精神」がしっかり残っていて、実際に如何なる戦いを想定して実践してきた通備門だからこそ現在中国の国家が推進する競技化した武術の影響を受けなくてすんだのではないか。

何かおこりうる戦いの場において大切な胆力や気迫が欠けると、一歩踏み出せば勝てるという時に腰が引けて勝てなくなる。現在の中国武術は理を尊ぶが、精神の鍛錬を小馬鹿にしてはいけない。だから通備門は習った実戦技法(招法)を実践して磨き、六合大槍においても、長兵(長い武器で打ち合う)をも練習し、常に打ち合いもおこないながら戦いを想定しているのである。弱冠19歳で多くの全国から集まった達人たちをKOし散手大会に優勝できた馬賢達老師は幼少の頃からこうしたトレーニングを積んできたからこそ、自然と戦いの「勘」が養われ、際立っていたのだろう。いくら立派な理論を打ち立てたとしても、普段の練習から繰り返しこうした心がけがないと、いざ実戦になったら、腰が引けてしまう結果となるのは言うまでもない。先生はこれまで日本で指導者と名乗ったり、伝人と称する人をそれなりに多く見られたが、理ばかり尊ぶ口先だけがほとんどだったという。このような現状が日本でまだ中国武術が理解されない原因の一つかもしれない。

武術とは何か?戦いとは何か?護身とは何か?いろいろ考えさせられた一日となりました。セミナーを受講していた私たちに対してそこまで考えて教えてくれる小林先生にはありがたく思い会場を後にしました。

鳴海 藤嶋

参加者の感想文

  • 六合大槍のセミナーは非常にテンションの高いものであった

    セミナーは最初、屋内での練習から始まった。

    老師はまず、槍(といっても今回使ったのは南棍だが)の持ち方の他、「?」「拿」「扎」という、槍の基本動作を教えてくださった。そこでは、私達に動作をゆっくり見せることによって、力の伝わり方を丁寧に説明してくださった。動き自体は、すごく簡単そうに見える。ところが、実際やってみると、まったくと言っていいほど思うように体が動かない。自分の体が2人以上の何やら違った生命体に乗っ取られた感覚を覚える。この感覚を打ち消して、自分の体を自分の体としてコントロールできるようになるとすばらしく気持ちがいいものだ。しばらく、基本動作と型の練習を続けた。型についてはその用法まできっちりと説明していただき、無意味な型の練習にならないよう配慮していただいた。

    老師は、時に共に棍を振り、手本を見せ、時に客観的に私達一人一人をチェックしてくださった。棍が中心を意識して動かされているかは非常に重要とのことだ。が、それも頭では分かっていても体がついてこない。物分りの悪い私を叱責せずに何度も粘り強く指導してくださり非常にありがたかった。

    そうこうしているうちに、屋内が手狭になり、場所を公園に変えてさらに練習は続く。公園では屋内練習の復習と対劈対扎・2つ目の型の練習である。対人の練習により、自分の棍の扱いの拙さが際立ち、さらに悲しくなるが、それをバネにして反復する。ここでも、一人一人に目を光らせてくださり、練習がただの反復にならないように途中でアドバイスをいただけたりするので、練習は非常に有意義なものになった。

    屋外での練習は、空が暗くなるまで行われ、腕も痛くなっているのだが、まだまだ練習したい気分であった。

    セミナーで老師は終始、基本の動きだけでなく、どこが悪いのか、どこを重点的に意識するべきかを私達各々に伝えようとされており、セミナーに出席したからには何かを掴んで帰っていって欲しいという老師の熱意が伝わってきて、私達もそれに応えよう無心に棍を振っていたので、セミナーは非常にテンションの高いものであった。

    このセミナーで習ったことを忘れないように仲間とともに練習していきたい。

  • これまでいくつかのセミナーや教室を経験したことがありましたが・・・。

    私は学生時代に1年ほど李書文系の八極拳を教えてくださる団体の練習に参加させていただいていた時期がありましたが、六合大槍の技術に関しては、まだ「拳児」やその他の書籍で紹介されている絵や写真を見たことがあるだけで、実際に目にしたことさえありませんでした。自分自身も武器術が現代の日常で実際に役立つ事があるか疑問があり、これまであまり気にもしていませんでした。

    しかし、偶々体験で通備門の練習に参加させていただいたのを機会に入門と同時に、今回の六合大槍セミナーにも興味半分ながら受講させていただく事にしました。

    セミナーの内容は主に六合大槍の基本であり、彼の神槍李書文がこれしか練習しなかったと言われる位の重要だと言われる?、拿、札とその対練を中心に学習しました。

    セミナーでは常に小林正典師範が身法などといった身体の動かし方の重要なポイント注意点を声に出して(普通何処でも隠して教えてくれないような要領を)又、たった1日のセミナーなので体験学習的に軽く考えていた私的には非常に感激しました。

    私はこれまでいくつかのセミナーや教室等の練習を経験したことがありますが、たいていは表面的な形しか教えてもらえず、たまに軽い力で吹っ飛ばしたりというような驚くような技術を見せて自らの功夫を誇示する程度で、何十年もつらい練習をしなければ見につかないような言い方ばかりで、結果的には折角習いに来ているのに武術雑誌を読んでいるだけと大して変わらない状態で不明なままでした。(しかし実際には何十年も練習してもものにならないことしか教えてもらえませんが。それにそれらの中には出版の編集されている人と仲が良いらしく武術雑誌によく取り上げられている所で、武術は保守的だと称したりして、質問さえ受け付けてくれるような雰囲気ではなく、意味解らないままやればやるほど体を痛める結果となってしまった所もありました)

    しかし小林師範は何故そういうことができるのかの身法、技術といった細かい点、そしてどういう練習すればできるようになるかをまさに初対面に近い人たちに対しても明確に包み隠さずご教示いただいたのは本当に驚きと感激でいっぱいです。

    特に?、拿、札といった槍の基本動作は八極拳の基本的な打撃や螺旋の動きを習得するのには欠かせず、又単練では理解しづらい為、わざわざ公園に出て行ってまでして暗くなるまで対練での学習をさせていただいたのは、私には大きな収穫となりました。

    今回セミナーを参加させていただいて思ったのは、何十年も中国武術を練習しても先人や中国人を崇拝しているだけで、実際自分の中国武術が身につくことができない日本の多くの愛好家諸氏の方々は1度小林師範のセミナーや普段師範が教えれおられる道場に体験でも参加されることをおすすめします。大なり小なり中国武術の核心になるものを理解いただけるものと思います。

  • 小林先生や先輩方の温かい指導のもとでなんとかのりきることができました

    私は八極拳に興味あり、今年になって通備門に入門したのですが、今までに色んな武術をやっていましたが、これほどまでに熱中した事はありませんでした。

    これも小林先生の人柄と先生の武術に対する情熱が私にも伝わったためだと思います。六合大槍も初めてですか、見るだけでは簡単に見えますが、実際動くとどれも慣れない動きで大変でしたが、小林先生や先輩方の温かい指導のもとでなんと かのりきることができました。小林先生や先輩の武術を練習することの第一はとにかく実践していくことです。

    私は力む癖があり、何度も注意されましたが、なかなか力む癖がとれませんでした。それには通備門の身体を緩める基本功をしっかりとやらないと力む癖がとれないと改めて感じました。

    六合大槍に基本の「?」「拿」「扎」がありますが、ランは螺旋の力で内から外に敵の槍を払い、拿は螺旋の力で外から内へ敵の槍を払い、ザで敵を突いて倒します。この「?」「拿」「扎」も基本の歩法ができてないと、身体が安定しないで、軸がブレてしまいます。すべては基本が大切です。

    毎日少しずつ練習をして少しでも小林先生に近づきたいと思います。

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