初めて中国武術にふれる方でもわかりやすく解説します!

進化をし続けている究極の中国武術 通備拳とは?

通備拳の基本情報

理論や健康目的だけの武術ではなく、今まで実際に証明してきた非常に歴史的価値のある名門武術です。

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 日本の関東軍が恐れたあの「大刀隊(敢死隊)」にも採用されました。

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 馬英図は20世紀初、国家プロジェクトとして設立された中央国術館において全国から集まった実力派武術家と試合し勝利を収め、実力No.1武術家と見なされていた。

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 馬賢達老師は全国規模の実戦形式に近いフルコンタクトの試合で多くの達人を破り、その強さは全中国武術界に震撼させた。

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 元プロボクシング世界王者・モハメドアリ氏が中国へ訪問した時に馬賢達老師の快速の突きを見て感嘆し、「是非貴方から習いたい」と言ったという。

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 1985年、日本武道館開館20周年記念のイベントで「日中武道親善交流演武大会」が挙行されるので、馬賢達老師は副団長として多くの中国武術家たちを束ねて来日され、叔父・馬英図の弟子である何福生と八極対接を表演し、日本の観衆に中国武術の真髄を披露した。≫その時の動画はこちらから

通備拳とは?

通備拳(つうびけん)とは近年の滄州出身の著名武術家 馬鳳図によって編成された門派であり中国北派で実戦性の高い拳法として知られている劈掛拳、八極拳、翻子拳を主とし、さらに戳脚、蟷螂九手、太祖八斬などを加えて編成されている。

かつて松田隆智氏をはじめとする中国武術研究家たちが武術誌上などで「通備拳」と記載して紹介していたために、便宜上こちらのサイトでも「通備拳」と記載しているが、正式名称は「馬氏通備武芸(ばしつうびぶげい)」である。

「通備拳」いや「馬氏通備武芸」は、ただこれらの種類の拳法が集められているのではなく、晩年には甘粛省の四大名医の一人でもあった馬鳳図の生涯をかけての武術、東洋医学や解剖学といった医療の面からの研究工夫にもより、各種の拳法を元来の技法を残しながら通備勁道を取り入れて統合させたものであって、元々別々で伝承され、風格や技法がまったく別だった各種拳法を共通の原理により貫いてよりよく完成している。よってそれらを総称して「馬氏通備武芸」といい、また「馬家拳」とも言われている。従って前述の拳法の名称の頭に「通備」の名を加えることができる。例えば馬家が伝えている八極拳は「通備八極」であり、翻子拳を「通備翻子」などといった具合で実際合致させて称している。

わかりやすく説明すると名医でもあった馬鳳図が、武術だけでなく医学の視点からでも、武術の動きを人体生理面と照らし合わせて、人体の運動能力が最大限に伸縮運動を究極に引き出していくように研究しつくされて完成した合理的な武術といえるでしょう。

「通備」の釈義には2つあり、「理象会通」「体用具備」である。「理」とは拳理、拳論をさし、「象」とは外在している拳勢や実際の技術をさす。この2つは一致し会得して通じてなくてはならない、これが「会」、「通」である。「体」とは強健な体をさし、「用」は技撃、実戦、技能のことである。これら2つを備えていなければならない、これが「具」、「備」である。「通」と「備」が組み合わさったものが通備武芸観である。

馬鳳図の弟・馬英図は全国から多くの武術家が出入りしていた南京中央国術館において教師を務めながら実力NO1と見なされ、また馬鳳図の次男・馬賢達は1952年史上初の全国規模の実戦形式に近い荒々しいの散手大会で弱冠19歳の若さで多くの達人をKOし優勝を果たし、馬家から2人も実戦において全国へ勇名を馳せた武術家を輩出させたことにより、馬鳳図がいかに完成度の高い武術を完成させたか覗うことが出来る。

また通備拳の核心になっている通備劈掛拳は、大刀・王五や神槍・李書文といった歴史上において実力派として名を馳せている武術家が若年の時に学び、大きな影響を与えた拳法である。

従って通備門の武術は、机上の理論ばかりを追求するのではなく、鍛錬を通して武術の実戦技法を実践し、理論と武術の動きを体現することを理念としています。

これらの文章を見て本場中国の高度な武術だと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、通備拳はどなたにでも気軽にはじめられる武術です。運動不足やストレス解消、ダイエットなどご希望にあわせて練習できます。

見学及び練習につきましては、随時受け付けていますので、一度ご来場下さい。女性や初心者の方も、当会で練習されたい方は大歓迎です!!

套路(とうろ)

套路とは空手やテコンドーでいう型を指します。各種防御と攻撃技術の組み合わせて構成されており、仮想的に相手がいなくても実戦の修練が出来るようになっています。通備門では劈掛拳、八極拳、翻子拳などの拳術の他に、剣、刀、槍、棍などの各種武器の套路まで伝わっています。套路はあらゆる通備門の技術が修得可能とされます。散手(自由組手)の技術の向上は無論、筋骨の鍛錬、呼吸調節、 重心移動、力の強弱度、柔軟な動き、リラックスそして基本動作または散手や対打などの相対練習で修得できない特殊技術の研磨がすることが可能です。

散打(さんしゅ)

一般的の名を散打ともいい。古くは相搏、手搏、白打、手戦などと呼ばれていた。この種の試合は台上で行われていたため、「擂台」とも呼ばれていた。従って、散打は中国で長い歴史があり、早い時期で宋朝の時代には流行していたとのこと。重要な祭典には、護国寺に擂台(リングみたいな台)が建てられ、各流派の名手が勝敗を賭けて戦っていた。明朝の時代には、このような形式の戦いがさらに発展してきた。その当時は擂台の両側に『拳打南山猛虎、脚足易北海蛟龍』と書かれた板が掲げられていて、試合前には選手同士が生死の契約書をとりかわしたほどである。

新中国が成立後、中国武術は体育の項目の一つとされ、1952年試験的に天津において、解放後の最初の全国規模の擂台(散手)大会が行われた。その時弱冠19歳の大学生であった馬賢達が優勝を果たしている。しかしこの大会で多くの負傷者が出て担架で運ばれる事態にまでなったので、その後ルールの見直しとなった。

その後、散打は武術套路運動の陰に隠れがちであったが、70年代末には武術事業の発展とともに、武術套路運動と呼応して発展していった。そして中国国内外において特に若い武術愛好家に好まれるようになった。

そして、中国武術独自の打(打つ)、足易(蹴る)、才率(投げ)、などを主体とした技術の他に、安全面でのルール、防具の改良など、一種の試合形式を作ったのである。

1988年に中国武術協会が国際武術散手招待試合を開催した。それにより武術散打がさらなる発展を促進した。

1990年中国の体育運動委員会が「武術散手規則」を公布し、多くの散手審判員を育成した。

そして1991年には北京で第一回世界武術選手権大会で散手の演武が成功した。その後多くの散打試合が行われ現在に至る。

最近は伝統武術の流派においても散打大会が行われ、各流派の技術の特徴を表そうと、試験的に行っているのが実情である。

通備門における散手は劈掛拳、八極拳、翻子拳等の拳術の他に、短兵や長兵といった武器までフルコンタクトのスパーリングをおこなう。通備門においては、古くから伝統形式の練習の他に、散手といった格闘性の強い武術まで研究を重ねており、今まで全国で勇名を馳せた武術家を2人も輩出している。

当会が伝える散手は馬賢達老師が長年数多くの実戦で得たエッセンスの基いたカリキュラムをそれぞれの目的に応じて指導しています。

※散手を練習される方は事前にスポーツ保険にご加入をお願いします!

スポーツ安全協会サイトへ

基本用語)

◆ 基本用語
劈掛拳 ひかけん 八極拳 はっきょくけん
翻子拳 ほんしけん 戳脚 たくきゃく
六合大槍 ろくごうたいそう 鞭杆 べんかん
風磨棍 ふうまこん 苗刀 びょうとう
梯袍剣 ていほうけん 奇槍 きそう
短兵 たんへい 長兵 ちょうへい
◆ 拳及び身体操作方法
瓦リョウ拳 がりょうけん 鳳眼勾 ほうがんこう
瓦リョウ掌 がりょうしょう 九宮掌 きゅうきゅうしょう
発勁 はっけい 呑吐開合 どんとかいごう
起伏ネイ(才+寧)転 きふくねいてん 意力貫一 いりきかんいつ
ネイ(才+寧)腰順肩 ねいようじゅんけん 三盤合一 さんばんごういつ
滾勁 こんけい 放長撃遠 ほうちょうげきえん
◆ 基本打法・蹴り技・対練
単劈手 たんへきしゅ 烏龍盤打 ウーロンバンダー
撲掛 プーグァ 反滾臂 はんこんへき
冲捶 ちゅうすい 川掌 せんしょう
鴛鴦腿 えんおうたい 点子腿 てんしたい
頂腿 ちょうたい 後圏腿 こうけんたい
大纏 だいてん 蟷螂九手 とうろうきゅうしゅ
◆ 基本立ち方・姿勢
馬歩 ばほ 弓歩 きゅうほ
跟歩 こんぽ 麒麟歩 きりんほ
三盤落地 さんばんらくち 滾勒勢 こんろくせい
含胸抜背 がんきょうばっぱい 立身中正 りっしんちゅうせい
旗鼓勢 きこせい 実戦勢 じっせんせい
站椿 たんとう 気沈丹田 きちんたんでん

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